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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 兵庫県出身。京都教育大学を卒業後、エンジニアとして日立製作所システム開発研究所へ入所する。退社後は(株)日本コンピュータ研究所、現・(株)CIJに入社し、子育てと仕事を両立。ソフトウェアの設計・開発、営業担当となり、取締役、常務取締役、副社長、顧問、アメリカ支社長を歴任した。現在は、2006年に発足したキャリア研究会の会長の他、多数の企業の顧問や大学の客員教授などを務めている。【ホームページ
 
 
 
セミナーや講演会などを通じ、働く女性の応援に力を注ぐキャリア研究会。会長の野木秀子氏は女性エンジニアの先駆けとなり、一部上場のIT企業で副社長などを歴任してきた。そして2006年、講演会で多くの女性から悩み相談を受けたのをきっかけに、キャリア研究会を発足。働く女性のネットワークづくりや自立を支援することで、女性が生き生きと輝ける社会をつくりたいと語ってくれた。
 
 
 

女性エンジニアの先駆けに

 
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インタビュアー 石黒彩 (タレント)
石黒 キャリア研究会さんでは、働く女性のためのセミナーや講演会を主催し、女性たちのネットワークづくりを支援されているとお聞きしました。野木会長はこれまで、女性エンジニアの先駆けとして、また経営者としても活躍してこられたとか。まずは、ご自身のキャリアについてぜひ、お聞かせください。
 
野木 はい。私が学生の頃は、女性が働く場といえば、学校の先生になるしかありませんでした。たとえ企業に入っても、お茶くみやコピーをしながらいい人を見つけて結婚退職、いわゆる寿退社というのが、当たり前の世界でした。ですから私は京都教育大学に進学し、高校の物理の教師を目指しました。でも1970年頃は高度成長期で、ちょうど大手各社でコンピュータの導入が進み始めた時期。エンジニアが足りないと言われていました。そこで、大学卒業後はエンジニアとして日立製作所システム開発研究所へ入所することにしたんです。教師には、いつでも転職できますからね。
 
石黒 野木会長は、女性エンジニアの先駆けだったんですね!
 
野木 そうですね。日立での仕事は本当におもしろく、配属された研究所では、世界最先端の技術をいっぱい吸収できました。ただ、入社前年に開催された万博後、世の中は一転して不景気になっていました。加えて、当時の企業には女性のキャリアパスが用意されていなかったので、結婚した私は、入社4年で退職することになってしまったんです。私だけでなく、多くの女性エンジニアが結婚を機に会社を去っていきました。辞めた後、教師になった方も多くいましたね。
 
石黒 そこで涙をのんでキャリアに終止符を打つ女性も多かったでしょうね。でも、野木会長は違っていた。
 
野木 はい。当時すでに結婚していたものの、専業主婦になるつもりは全くありませんでした。夫も「夫婦が共に仕事をして、自立するのは当たり前」だと言ってくれたこともあり、まだ設立されたばかりだった社員30名くらいの株式会社日本コンピュータ研究所に入社したんです。現在は株式会社CIJと社名を変え、社員は1500名くらい。東証一部上場も果たしましたし、私の会社への貢献度はかなり高かったんです。ここで、私は子育てと並行しながらソフトウェアの設計・開発や営業を担当してきました。国際会議でベストスピーカになったこともあります。そして、取締役、常務取締役、副社長、顧問を歴任し、2014年、65歳で退職しました。
 
石黒 大出世ですね。理解のあるご主人に恵まれたとはいえ、野木会長は、本当にパワフル!
 
 
 
 

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