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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

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人生最大の努力と20代2度目の失敗

 
薮崎​ いえ、当時貯金はゼロでした(笑)。なのでまずは、「いずれは年収1000万円」、と書いてあった広告を見て銀座のレストランで働き始めました。ところが半年経った頃に、店長の月給が26万円であることを知ってしまい、半年で退職したんです。そこからは、警備や運送会社の日雇いアルバイトで日銭を稼ぐ日々。もう、「何やってんだろう」って唇を噛む毎日でしたね。でもその後、営業職に転職したら抜群の成果を出せるようになったので、9ヶ月で独立しました。サッカー選手を引退してからは、約1年半が経っていましたね。
 
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 たった1年半ほどの間で、日雇い労働から起業まで経験されたんですか! 濃いなぁ~。それに営業職から起業までのスパンも短いですよね。
 
薮崎 営業職に就く前に、ノートに「2年以内に独立」と書いて、がむしゃらに働いたんですよ。始発から終電まで働いて、休日も出社しました。その間、プライベートで人と会ったのは、元チームメイトの結婚式の1回だけ。テレビも1回もつけていないように思います。そうやって努力した結果、9ヶ月で独立できたんです。この9ヶ月は人生の中でも一番頑張った時期ですし、もしサッカー選手の時に同じ頑張りができていたら、選手として成功していたかもしれないなと思いますね(笑)。
 
 確かにすごいガッツですね! それだけやれればサッカー選手に限らず経営者としても、なんだってできそうだ。
 
薮崎​ 実際に、スタートダッシュは上手くいきました。ところが、市場が縮小していく業界で事業を始めてしまったばかりに、その会社は4年で清算することに・・・。それが29歳の終わり頃のことだったので、20代でサッカーとビジネスの両方で2回失敗してしまったことになります。どちらも、「成功した」と思ったことが失敗の始まりだったように思いますね。
 
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 慢心を捨てることが大切なんですよね。僕もヴィッセル神戸を1年でクビになった時、トッププレーヤーでやってきた自負から、必ずどこかから声がかかると安心していました。でも移籍先は一向に決まらず、引退を覚悟した移籍期間最終日に、やっと当時J2最下位だった横浜FCから声がかかったんです。この時から、「俺は世間では終わってるのかもしれない。でも、そうじゃない自分を見せなきゃ!」と思って、再度真剣にサッカーに取り組みました。
 
薮崎​ そういう挫折の経験は、次への意欲になりますよね。私も会社を畳んだ後、大手企業からヘッドハンティングのお話もあったにも関わらず、もう一度自分で挑戦したいからと今の会社を設立しました。今思えば、戦いの場がグラウンドから会議室に変わっただけで、サッカーもビジネスも同じなんですよ。一言一句の間違いも許されない商談は、まさに戦いそのものなんです。