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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

1つ先の未来を見据え 
先端技術を徹底的に研究

 

震災を機に自分を見つめ直して新たな道へ

 
宮地 2001年の起業以降は、どんなお仕事を?
 
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吉村(賢) 主な事業内容はWebサイト制作です。海外サイトを日本に移植したり、企業のネットプロモーションをしたり。私たち兄弟の他に、2人の仲間を加えた4人体制で行っていました。思い出深いのは、ラーメン店「六厘舎」さんのプロモーションですね。
 
吉村(孝) 彼らのWebサイトや通販の販路構築、決済システムの制作などを一手に引き受けたんですよ。
 
吉村(賢) ちなみに、現在ラーメン店のホームページでよく見かける、「白地に黒、力強い筆文字を多用するデザイン、頭にタオルを巻いて腕組み」というスタイルは、このときに私たちが広めたようなものでして。「これは目立つぞ」と思ってやったら、他のお店も似たようなスタイルをとるようになっていきましたね(笑)。
 
宮地 Webサイトの草創期に活躍された方ならではのエピソードです(笑)。ずいぶん順調にお仕事が増えていったようですね。
 
吉村(賢) ありがとうございます。ただ、東日本大震災で国内のあらゆる業界が自粛ムードになっていった結果、仕事が次々となくなってしまいました。営業部隊を持たなかったことが災いしたのかもしれません。社員に給料を払うために1年ほど無給で働いたものの事態は好転せず、創業以来のメンバーにも「もう他に行ったほうが良い」と伝えて・・・。会社を清算することも考え、文字通り眠れない日々が続きました。
 
吉村(孝) でも兄はiPhoneを一早く持っていましたね。ソフトバンクが目をつける前からです。私はAndroidの研究にと、当時国内ではどこも扱っていなかったNexus Sを持ちました。
 
吉村(賢) そんな研究開発の日々が続く中、従来のようなWeb開発に未来はないと直感しまして。自分たちの原点は先端技術研究なんだと。そこから舵を切り直すことにしたんです。
 
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宮地 舵を切り直してからはうまくいきましたか?
 
吉村(賢) 最初は模索の日々が続きました。そんな中で弟が、ハッカーの世界大会で日本代表チームの一員として参加し、日本では初めてとなる6位入賞を果たしたんです。それ以降テクニカルなお話をいただくようになり、業績もV字回復していきました。
 
宮地 セキュリティの脆弱性を正すためにハッカーを技術者として雇用する企業も多いとは聞きますが、どうもブラックなイメージが・・・。
 
吉村(孝) セキュリティ向上のためにはまず破らなくてはならず、そのためにありとあらゆる手を試す。これは、新技術の可能性を模索する現在の仕事にも通じているかもしれません。