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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

1つ先の未来を見据え 
先端技術を徹底的に研究

 

ファミコンの代わりに手に入れた人生の宝

 
宮地 例えばグーグルグラスだと、スポーツ観戦に活かせそうですね。
 
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取締役の吉村孝広氏
吉村(孝) そうですね。ARやVRというと、どうしてもエンターテイメント分野がクローズアップされがちなんです。しかし、観戦やラーニングといった趣味・教育の分野にも活用できると考えています。そういう、ポテンシャルが少しでもあると思った分野については徹底的に研究しておくんですよ。
 
宮地 電子機器、ITデバイスに興味を持ったきっかけは何でしょうか?
 
吉村(賢) テレビゲーム『スーパーマリオブラザーズ』全盛期の当時、小学生の私たちが欲しがったファミコンの代わりに、父がパソコンを買ってきたことが全てです。パソコン雑誌のゲームプログラム投稿欄と睨めっこしながら、一心不乱でキーボードを叩いていましたね。とにかくゲームをしたかったので(笑)。
 
吉村(孝) コツがわかってくると、自分たちでコードをアレンジしてね(笑)。
 
宮地 独学でやるうちに、プログラムが楽しくなったんですね。その趣味が、どのように仕事につながっていったのでしょうか。
 
吉村(賢) 現・あいおいニッセイ同和損害保険である大東京火災海上保険さんが、自動車保険の顧客向けに使用していた運転シミュレーター、その年次更新作業に父が携わっていまして。あるとき、高校生と中学生だった私たちに「手伝わないか」と提案してきたんです。以来、年次更新を担当するようになりました。
 
宮地 高校生と中学生なのに!? そんな大きな仕事に携われるなんて、精神的に大人だったのでしょうね。
 
吉村(孝) いや、中身はまるっきり子どもでしたよ(笑)。「僕らの案のほうがいいのに、何でわかんないかな」とか、先方の事情も知らずにブツブツ言いながら作業していましたしね。
 
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宮地 当時からプロ意識が高かった証じゃないですか。お父様のお手伝いから、本格的に仕事にしようと思ったのはいつ頃ですか?
 
吉村(賢) 20歳の頃には天職だと感じていました。というのも、2人とも新しい物好きで、テクノロジーにワクワクしっぱなしだったんですよ。ネットの黎明期だから、次々と新技術が海外で誕生していたんです。日本とはどうしても情報格差を感じざるを得ませんでした。
 
吉村(孝) 新しい技術に関する情報はほとんど英語で表記されています。情報が手に入ったら次に実際に動いているものを解析するのですが、大事なところにはだいたい簡単に読めないように特殊な処理が施してあって・・・。普通の人には読めない代物になっているんですね。でも、それを自分で解読するのが楽しい。手癖が悪いと言われれば認めざるを得ませんが、そうして得た技術を国内へ還元していくことで一歩進んだ成果が出る。それに夢中でしたね。こうした結果が認められてきて、2001年に兄弟で最初の会社を立ち上げました。
 
宮地 その向上心は、プログラミングを独学した少年時代に培ったものなのかもしれませんね。
 
 
 
 

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