B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

高い技術とチーム力で
関西を駆ける運送会社

 

丁寧な仕事を積み重ね苦境を脱出

 
畑山 児玉社長は、いつ頃から運送業界に入られたのですか?
 
glay-s1top.jpg
児玉 21、2歳の頃ですね。宮崎から大阪に出たのが19歳で、それから工場で2年ほど働いたのちに、大手の運送会社にアルバイトで入りました。倉庫業務に配属されまして、働くうちに「自分に合っているな」と思ったんです。
 
畑山 倉庫業務というと、荷物の整理や搬出入が主な作業ですよね。面白味を感じたのは、どんなところだったんでしょう。
 
児玉 倉庫業務は時間との戦いです。「どれくらいの早さで荷物をスムーズにトラックに積み込み、ドライバーに渡せるか」など、人や物を効率的に動かすよう工夫すると、作業スピードがぐんと上がります。そのように、自分のアイデア次第で生産性が変わるところに魅力を感じました。
 
畑山 なるほど。それを考えるには全体を俯瞰する力が必要なはず。児玉社長には、陣頭指揮をとる力、つまり経営者の資質が当時から備わっていたんだと思いますよ。工夫を楽しめる人じゃないと、経営者は務まりませんからね。
 
児玉 ただ、大企業で組織も大きかったので、自分のアイデアが採用してもらえないことも多々ありまして・・・。それで28歳の時に、トラック運送会社としては規模の大きい宮田運輸という会社に転職して、独立する38歳まで勤めました。5年目くらいからは営業所の副所長を任せていただいていましたね。
 
畑山 その地位まで昇進してからの起業は、大きな決断だったと思います。
 
児玉 確かにそうですね。トラックの燃料である軽油の価格が高騰していて、運営が大変な時期でしたから「何でこんな時に独立するの」と周囲には心配されました(笑)。ただ、当時の社長からは「宮田運輸のブランドがあるからこの状況でも仕事が入る。でも、ゼロからのスタートは厳しいから、入ってくる仕事を大切にしなさい」と励ましの言葉を頂戴できたので、嬉しかったです。
 実際に独立してみると、初年度は順調な業績だったけれど、2年目でガクッと下がってしまいました。その辛い時期にくじけなかったのは、気にかけてくださった方々への思いがあったからです。覚悟と言うのでしょうかね。独立した意味を忘れず、信念を曲げないで頑張ることができました。
 
glay-s1top.jpg
畑山 不屈の精神ですよね。ボクシングでも、苦汁をなめている時期にも初心を忘れず、妥協せずに一つひとつの練習を積み重ねてゆける選手が結果を出すんです。しかしそれは自分だけの力ではなく、トレーナーやジム仲間、後援会の方々の存在があってこそ。だから児玉社長の今のお話には、心底共感できます。
 
児玉 あとは、家族が全力で支え続けてくれたことも非常に大きかったですね。おかげさまで、3年目の業績はV字回復でした。
 
畑山 燃料費高騰の中で船出して苦労した分、少々の向かい風でもへこたれないくらい、会社の屋台骨に強さが養われたと思います。結果として、独立を決断したタイミングもよかったと言えるんじゃないですか。
 
 
 
 

アーカイブ一覧

分野で選ぶ

バックナンバー

最新記事

話題の記事