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1、福沢諭吉と複式簿記

 
 1万円札の福澤諭吉に興味を持っています。べつに1万円札に憧れているわけではないんですが、福澤諭吉は 『帳合之法』 という複式簿記の解説書を日本に初めて紹介してくれた日本人であるからです。こういう視点で福澤諭吉を捉えるのは私ぐらいかもしれません。通常は近代日本最大の啓蒙思想家、あるいは慶応大学関係者ならば慶応義塾の創設者としての視点から福澤諭吉との接点を持つのでしょう。私は慶応大学の出身ではないので、今までそれほど興味の対象ではなく、「1万円札の福澤諭吉」 という程度の認識でした。しかし最近になって、上述した理由から福澤諭吉に興味を持ち始めました。
 江戸時代当時、江戸の人口はパリやロンドンの人口60万人をもしのぐ世界一の100万人都市になっていました。これに銀の世界産出量の3分の1をも誇った鉱業大国日本の技術。加えて、経済の経理技術的インフラである複式簿記が江戸時代前半に日本で普及していたら、日本発の産業革命が興った可能性すら否定できない・・・というようなことを本稿で書き綴っているうちに、福澤諭吉のことを知りたくなったんですね。
 
 昨日京都からの出張の帰り、京都駅の本屋で手にしたのが、『現代語訳 福翁自伝』(ちくま新書・齊藤孝編訳)。激動の時代を痛快に、さわやかに生きた福澤諭吉の破天荒なエピソードがいっぱい詰まった本書にぐいぐい引き込まれていってしまいました。ということで、『帳合之法』 について書こうと思ったものの、今月はちょっと寄り道をします。
 諭吉の父は福岡県中津の出身ではあるものの、豊前奥平藩の大阪の蔵屋敷の金銭管理役の父親の末っ子として生れました。まあ今ふうにいえば 「福岡県大阪営業所年貢米・特産物等管理課出納係長」 程度の下級役人だったのでしょうか?
 父親が45歳で早死にしたため、一家で郷里・福岡県中津に戻り、14歳の時初めて塾に入って勉強の面白さに触れ、孟子、論語を人より早く理解してしまいました。多くの生徒は中国春秋時代の歴史書 『左伝』(春秋左氏伝の通称) は2~3巻で止めてしまうのに、諭吉は15巻を11回読んで面白いところは暗記してしまったというから驚きです。 
 その後、士族の門閥制度に嫌気がさして、長崎に遊学(19歳、ペルー来航の翌年1854年)。目の悪い砲術家山本物次郎やその家族のために本を読み聞かせ、また、重要砲術書の貸し本屋の仕事の中で砲術コンサルタント的な知識を吸収しました。山本家の秘書係の仕事の過程で、中津藩の家老の倅(奥平壱岐)からの嫉妬にもあい、中津藩に戻らざるを得なくなったものの、江戸を目指します。途中兄のいる大阪に寄り、結局大阪の緒方洪庵の塾に入ります。
 子供時代の神様のお札を踏む話やら、長崎時代の贋手紙事件やら、子弟逆転の話等、様々なエピソードいっぱいの 『福翁自伝』。一気に読み進んでしまいました。
 
 


2、江戸時代の学生の勉強方法と緒方塾の生活

 
(1) 23両の原書の価値
 45歳で早死にした諭吉の父は学者でもありましたが、その蔵書1500冊の臼杵藩への売却代金が15両。読みたくてしょうがなかったオランダの築城書200頁を、奥平壱岐の眼を盗んで謄写した、その所要日数が3週間。その間、昼夜気力の続く限り謄写に専念し、城門勤務の夜当番の日は朝城門が開くまで一睡もせずに複写作業。奥平壱岐がこの貴重なオランダの築城書を指して言った 「この原書は安く買えた。23両だった」 との言葉に、貧乏学生の諭吉は胆を潰したそうです(ただし本の値段に関しては別のエピソードも記載あり)。
 緒方洪庵は筑前(福岡県北西部)の大名・黒田美濃守の出入りの医者。まあ言ってみれば、福岡県知事の主治医という感じかもしれません。黒田公が 『ワンダーベルト』 という物理の原書(英書のオランダ語訳)を80両で買ったとあり、緒方塾の諭吉たちはこのなかの 「エレキトル(電気)」 の部分がどうしても読みたくて、二夜三日で交替で複写してしまったそうです。おかげで電気に関する知識は緒方塾が日本一であったと、福澤諭吉は自負しています。
 さて23両のオランダの築城書、父親の蔵書1500冊の売却代金15両、物理の原書 『ワンダーベルト』 の代金80両。これらが高いのか、安いのか比較のしようもありませんが、今の価格にするとどのくらいになるのでしょうか? 
 日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料によると、一応の試算として、江戸時代中期の1両(元文小判)を、米価・賃金(大工の手間賃)・そば代金をもとに現在の価格と比較してみると、米価では1両=約4万円、賃金で1両=30~40万円、そば代金では1両=12~13万円ということになっています。また丸田勲氏の書籍 『江戸の卵は1個400円』(光文社新書)によると、金1両=128,000円としています。もっとも文化文政期(1804-1830年)の相場と平成の相場の換算値ですので、おおよその感じはつかめるものの、諸説あって一概に比較はできません。ここではざっくり、そば代金比較と賃料比較の間を取って、1両=15万円としておきます。
 
父親の蔵書1500冊15両 = 2,250,000円 (米価換算で60万円)
オランダの築城書23両 = 3,450,000円 (米価換算で92万円)
物理の原書『ワンダーベルト』80両 = 12,000,000円 (米価換算で320万円)
 
 このような結果をみると、1両=15万円の換算は高すぎるかもしれません。しかし、父親の蔵書1500冊は買いたたかれた気もしますし、物理の原書 『ワンダーベルト』 は相当ふっかけられた気もします。しかし福澤諭吉等の緒方塾の塾生はその内容の価値のすごさに気づき、交替しながら二夜三日で複写してしまったのでしょう。
 勝海舟がオランダの兵書を本屋で見つけ、50両(米価換算で200万円)と言われて手が出ず、欲しい一念で金策に走って成功し、本屋に行ったらすでに売り切れていた。買主に借用を願い出て半年でその本の謄写をした話を、この連載のVol.4「余暇(趣味)でたまったストレスは、仕事で解消しよう!!」 で紹介しました。その時も、彼がなぜそのような行動に至ったのかに触れましたが、当時の学生たちの気魄に驚かされます。何が、何ゆえに、彼らをしてそのような行動に走らせたのでしょうか? 次頁の諭吉の記述が参考になります。
 
 
 
 

 

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