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小学校のクラス会、そして人生を終える理想の場所を求めて
― 小規模宅地の評価減の改正の影響 ―

 
 
 初期高齢者の仲間入りをし、下り坂の人生に突入してくると、健康維持の話やら、老人ホームの話、小学校時代の話やらで盛り上がってしまいます。そして相続税法の改正の話もだんだんに他人ごとではなく身近な話題になってきています。
 今月は、税法改正が人生や生活パターンにどのような影響を与えているのかを考えてみることにしました。税理士でもある私の随筆なのに今まで税金の話をしていないことに気がつきました。その前に、まずはクラス会の話。
 
 

1、50数年ぶりのクラス会

 
 小学校のクラス会が53年ぶりに開催され、共に苦労して探し当てた住所録をもとに案内をしたところ、クラスメイト45人中で、所在が判明したのは20人。そして18人が集まり、それこそ半世紀ぶりに再会しました。
 なぜ、クラスの半分以下しか所在が分からなかったのか?一言でいえば、12歳で卒業以来一度もクラス会を開催していなかったからです。そしていまだに同じ場所にいるのは、私一人だったことも起因しているかもれない(その後もう一人確認)。東京の港区という中心部にずっと居住していられたのは、港区の多くが地上げされて再開発され、街ごと無くなってしまったものの、私が住んでいる場所はお寺が多く開発対象外だったことが幸いしたようです。
 通常、40歳代、50歳代で開催するクラス会の出席率が90%ということは考えられません。なぜか? 人生真っ盛りの間の様々な人生模様が繰出され、過ぎ去ったわが身の人生を今更問われたくない心情もあり得るんでしょう。六‐七歳の、物心がついた人生の入口付近で出会って、すれ違い、そして人生の出口近辺でまた出会ってすれ違いつつある私たちクラスメート。そして、残された人生も、指折り数えられるような時間になり、途中経過に関係なく 「人生って何?」 と、その出口付近で再会している私たちに、再度問いかけています。
 
 小林秀雄の 『無常といふこと』 という文章があります。「僕らが過去を飾りがちなのではない。過去の方で僕らに余計な思いをさせないだけなのである」――いまだに難解すぎて、理解し難い文章ですね。
 小林秀雄は 「思い出は美しい」 のはなぜなのかと考えます。
 私の場合は、いまだに超過密スケジュールの消化をし、充実?いや追いまくられている 「今」 を過ごしていると錯覚しているとはいえ、これからの人生、所詮、消化試合。「いやいや消化試合じゃない!追いまくられているんではなく、充実しているんだ!」 と、意識的にそう思い込むようにしないと仕事は楽しめないんでしょう。とはいえ、未来は残り少なく、過去のウエイトばかりが重くなってくる。過去はいまさら飾っても意味がないんですね。
「過去から未来に向かって飴の様に伸びた時間という蒼ざめた思想」――この文章になると更に難解。比叡山坂本駅の側、日吉大社。小林秀雄氏は歴史を積み重ねたこの場所にたたずんでは 「永遠」 を考えたのでしょうか?
 生と死がテーマの小林秀雄のことをまずご紹介したのは、「美しい思い出」 話に浸りながらも、小学校に限らず、最近の度重なるクラス会の開催はなぜ?を探りたかったのです。
 
 

2、理想の死に場所を求める権利を阻害する税法改正小規模宅地の評価減

 
「美しい思い出」 話に浸りながらも、私たち初期高齢者の話題は介護の話へと自然に移っていきます。親の介護、配偶者の介護etc・・・・・・.。
 介護の後は相続発生、ということで相続税の話になります。当事務所の税務クライアントの身近な話をご紹介しましょう。
 
 
 
 

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