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コラム 今、かっこいいビジネスパーソンとは vol.4(最終回) 暗く明るい谷底 今、かっこいいビジネスパーソンとは 首都大学東京教授/社会学博士

コラム

今、“かっこいい” ビジネスパーソンとは
第4回 暗く明るい谷底

 
 

我々はもっと落ちなければ

 
 今の日本の状況は 「貧すれば鈍す」 だと思います。「まだこのままいける」 と思っているうちにもっと困った状況に追い込まれ、「俺だけは逃げ切ろう」 という自己中心的な人間ばかりが増えます。全体を見わたしてバックキャスティング的に (将来あるべき姿から逆算的に) 現在を構想する 「かっこいい奴」 がどんどん枯渇しつつある状況です。
 でも僕は楽天的です。というのは、「貧すれば鈍す」 になるのは、貧する度合が浅いからだと思うのです。もっとキツイ状況になれば 「自分たちはどうしてこんなにキツイのか」 と振り返らざるを得なくなります。僕は90年代前半までの講義やゼミでは、そのことを 「痛みを媒介にした世界把握」 というふうに呼んできました。
 レヴィ=ストロースのいう 「冷たい社会」 では、社会成員が等身大の知識に埋没している、つまり生活に内在しているのが通常で、遠隔世界の知識に通暁するのは特別の役割(神官など) に限られていました。ところが 「熱い社会」 になると、大衆が遠隔世界の知識を要求するようになり、だからこそ 「知識人(前衛)/大衆」 という区分が生まれます。
 なぜか。大衆が、等身大の知識ならざる遠隔世界の知識を要求するようになるのは、知的興味よりも、自分たちが置かれた酷薄な状況の因って来たる所以を知ろうとするからです。「どうして頑張っても頑張っても自分たち (の社会) は貧しいままなのか」。そこから、構造的貧困をもたらすグローバル経済への認識が育まれ、共有されていくのです。
 
 日本はまだそこまで行っていないように思います。「痛みを媒介にした世界把握」 まで行っていない。そのことは、一昨年に秋葉原事件が起こったとき、若い人たちが 「弱者を直撃するグローバル化がいけない」 という頓珍漢な認識で盛り上がっていたことで再確認できました。真剣に考えていないのです。まだ 「盛り上がりのネタ」 に過ぎません。
 
 真剣に考えればこうなるはずです。新興国を富ませるグローバル化は不可避かつ不可欠です。グローバル化が個人を直撃するなら、グローバル化を批判するのでなく、個人を衝撃から守る社会の包摂性が薄っぺらいことを批判せねばなりません。これが完全に国際標準の認識です。ウェブなどで調べればすぐ判ることですから、真剣さを欠いているのです。
 そんな体たらくですから、どのみち日本社会は確実にもっと落ちます。細かいことにクヨクヨしても仕方ない。いずれ落ちるところまで落ちれば 「痛みを媒介にした世界把握」 をベースに立ち上がろうとする動きが始まります。なので 「どのみち落ちる」 という僕の認識を、たかが個人の人生程度のタイムスパンで悲観的だなどと評されても困るのです。
 そうではない。長期的には僕は楽観的です。ただ、気付くのが遅くなればなるほど ――「痛みを媒介にした世界把握」 へのシフトが遅れるほど―― 犠牲が増えるので、気付きを出来るだけ早くもたらしたいと思っているだけです。気付きを早くもたらすには、今まさにものすごい勢いで坂を転がり落ちつつあることを喧伝するしかないということです。
 実際、自立した経営企業体として回る地域社会を作ることがいかに途方もない作業か。そのことを弁えないで、土建屋行政を通じた集権的再配分によって、自立した経営企業体としての地域を完全破壊してきたのです。ナウシカの台詞にもあります。「火は一晩で森を焼きつくすが、風と水は100年かかって森を作る」。地域の再建は途方もなく大変なのです。
 
 

依存から自立へ

 
 維新以降の日本、そして戦後の日本は、非常に特殊です。維新以降の急速な近代化にせよ、戦後の急速な再近代化にせよ、共通して、あえて地域の自立を空洞化させる集権的再配分を通じてなされてきました。その結果 「日本が最も成功した社会主義国だ」 などと呼ばれる一方、保守を標榜する自民党こそが再配分を行なうので政権交代がなかったのです。
 地域再生というとすぐに経済成長を持ち出す住民だらけなのが、象徴的であると同時に、とてもマズイ状態です。これも先進国標準であれば 「金の切れ目が縁の切れ目」 であるような社会の包摂性の薄っぺらさを、問題にするはずなのです。「経済回って社会回らず」 の本末転倒を廃し、「社会を回すための経済」 の本義に戻る必要があるということです。
 
 「社会を回すための経済」 の本義への立ち戻りは、1980年代の先進各国で生じました。北イタリアのスローフード運動 (から始まったスローライフ運動) 然り。カナダのメディアリテラシー運動然り。アメリカの巨大スーパー反対運動然り。これらを通じて、先進国の人々は 「共同体を護持するためにこそ市場経済がある」 との認識を共有していきました。
 日本だけがこうした運動を欠いていました。だからこそ、米国や先進国の運動ゆえに危機感を抱いた米国流通資本の意向を体した米国政府の言うがままに、80年代末に大規模店舗規制法を緩和し、先進各国の流れに完全に逆行する方向にスロットルを踏んでしまったわけです。そして90年代の平成不況で大規模店が撤退するや、荒野になってしまいました。
 
 日本ほど、自立した経営企業体として地域を回すためのリソースが枯渇した先進国は、他に一つもありません。その意味で、日本の近代化&再近代化は明白に特殊なものでした。その特殊さが、成功した近代化や再近代化の秘訣だったのは間違いありません。でも飽くまで一時のもの。特定の産業段階における特定の国際的配置のなせるワザにすぎません。
 戦後でいえば 「日米安保体制に寄り掛かって製造業に勤しめた時代」 に限られます。こうした時代は遅くとも80年代末までに完全に終わりました。ここから先は、外需部門については、中国にどのみち追いつかれる産業分野から、将来に渡って比較優位を保てる産業分野にシフトすべきでしたが、既得権益に漬った思考停止ゆえにシフトに失敗しました。
 内需部門については、他の先進国に比較して圧倒的に低い労働生産性をどうにかするためのイノベーションが必要になりましたが、集権的再配分に依存する思考停止や、日本的共同体の悪しき側面である 「出る杭を打つ」 傾向が、イノベーションを阻みました。外需部門においても内需部門においても産業構造改革に完全に失敗してしまいました。
 これらは、中央依存的メンタリティ、大企業依存的メンタリティ、有力者依存的メンタリティ、空気依存的メンタリティが変わらない限り、どうにもなりません。抽象的に言えば 「依存から自立へ」 へと ――個人的自己決定をベースに成り立つ共同体的自己決定へと―― シフトできない限り、どうにもなりません。これが 「任せる政治から引き受ける政治へ」 です。
 福山哲郎氏との共著 『民主主義がなかった国・日本』 の帯で 「革命が起こった」 と書いたのは、政権交代で、お上に 「お任せする政治」 から市民が 「引き受ける政治」 に変わったはずだという意味です。でも序文冒頭に、国民がそのことを自覚しない以上、たぶん失敗するだろうということも書かざるを得なかったのは、今申し上げた歴史のせいです。
 
 
 
 

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